オレゴン大学の陸上部でコーチを務めていたビル・バウワーマンと、同部のランナーであったフィリップ・ナイトは、1964年に500ドルずつ出資し共同でブルーリボンスポーツ社を興し、日本のオニツカタイガー製靴会社(現アシックス)製品のアメリカでの輸入販売を始める。
71年にはブランド名として「NIKE」を採用。NIKE(ナイキ)とは、ギリシャ神話の勝利の女神ニケ(NIKE)の読みを変えたもの。
BRS社初の正社員であるジェフ・ジョンソンの夢の中に、勝利の女神ニケ(NIKE)が現れたことから「NIKE(ナイキ)」と命名された。
SWOOSH(スウッシュ)は、1971年にキャロライン・デビッドソンにより作成されたグラフィック・デザインで、勝利の女神ニケ(NIKE)の翼を表してる。
78年に社名をいよいよナイキに変更し、84年に当時まだノースキャロライナ大のバスケ・チームの選手で、NBAシカゴ・ブルズへ入団しようとしていたマイケル・ジョーダンと契約。
そしてあのスニーカーの名作「エア・ジョーダン」を発表し、爆発的ヒットとする。以後、ナイキは急成長を遂げる。
ナイキとストリートファッション
84年ジョーダンは既にカレッジ・バスケットボールの人気選手だったとはいえ、プロでも大成功するという絶対的な保証は当然なかった。
ところがジョーダンは歴史に残るスーパースターとなった、ヒップホップがアメリカ全土にポップ・カルチャーとして浸透し、ダンク・シュートをキメまくるジョーダンに夢中になった少年たちは、ヒップホップ・ファンでもあった。
彼らは先を争ってナイキスニーカーエア・ジョーダンを履き、彼ら独自のストリート・ファッションの必須アイテムになった。
ナイキスニーカーダンク
現在のナイキの中核を担うスニーカーとして人気なのがこのナイキスニーカダンクシリーズ。
85年にエアジョーダン1、ターミネーターと同時期にリリースされたナイキノンエアバッシュの先駆的存在。
90年代後半の初復刻から非常に人気があリ、シティアタック(通称裏ダンク)と呼ばれる限定モデルや、
02年から開始されたナイキスケートボーディングからのSBシリーズなど次々と大人気モデルが登場。エアフォース1と並んで目の離せないモデル。
ナイキスニーカーエアフォース
87年の発売以来ナイキバスケットシューズの定番モデルとして不動の地位を築いているモデルがこのナイキスニーカーエアフォース1シリーズです。
バスケットシューズとしては初めてナイキスニーカーエアソールを採用した記念すべきモデル。
90年代後半からアメリカのストリートを中心に人気が再燃し、把握しきれないほど豊富なカラーバリエーション、著名アーティストとのコラボモデルなど留まる事無くニューカラーが発売されているスニーカー。
ナイキスニーカーターミネーター
ヒールに大きく描かれたの通称“ビッグナイキ”が特徴の人気スニーカー。
オリジナルは1985年に発売され、NCAAの名門校ジョージタウン大学のスクールカラーであるグレー×ネイビーの絶妙の配色とその希少性からマニア憧れのモデルであったが、03年ついに待望の復刻。
ナイキジャパン
略:NJ。現在は米国NIKE INC.の100%出資の子会社。日本ゴム(現:アサヒコーポレーション)、日本工業がライセンスを取得し、国内外の生産、国内の発売していたのを皮切りに、その後日商岩井出資でNIKE JAPANを設立。


